<前回までのあらすじ>
ある日曜の早朝、自分の家から閉め出された哀れな青年Cは、突然現れた隣人に助けてもらい、なんとか家にはいることができた。隣人は、優雅な老夫婦・ジョーとダナだった。
結局、家をこじ開けたあと、一緒に街のFirst Baptist Churchに、日曜日の礼拝に行くことに。
朝方とはうってかわって盛装した二人と、一応めかしこんだ僕の3人でお出かけすることになった。
まずは、9時半からのSunday Schoolに出席。
生まれて初めての日曜学校は、トピックスごとにクラス分けされていて、結果的にほぼ年代ごとになっている様子。僕の出た、Kintuadi (friendshipという意味だそうだ) のクラスは、50~70歳くらいの約20人が、リーダー役の人を中心にみんなで議論をしながら、聖書を学んでいくものだった。
最初に、それぞれ、身の回りの人の変化を報告。隣の家のLouisが昨日死んだとか、骨折して入院したとかそんな話ばかり。近所の会合みたいで、びっくり。
普段は聖書をもとに話し合うようだが、今日はちょっと違って、お題は、”Community”。
ホワイトボードに書かれた
Knowing; Being known
Celebrating; Being celebrated
Loving; Being Loved
Serving; Being served
ということをキーに、communityに属するって何なのか、celebrateって何なのか、思いついたことを勝手に言い合いながら、話が進んでいく。
当日、家から閉め出されて隣人に救われたばかりの僕は、かっこうのネタになって、これぞコミュニティー!体験として話題の中心に。おかげさまで、突然訪れたのに楽しく参加できた。
コミュニティーの中心としての教会を肌に感じた時間だった。
続いて、10時半からは、Traditional Worshipに参加。
Hymnを歌ったり、牧師さんのお話を拝聴したり、初めて本格的に礼拝に参加した僕にとっては、全てが新しかった。
ということで、思いがけず異文化の洗礼にあい、礼拝が終わった12時頃には、身も心もへろへろだったけれども、信仰の場、地元の人の交流の場に立ち会うことができたことは、なんだか不思議な充実感を自分の中にもたらしたのでありました。
それもこれも、家を閉め出されたおかげと思うと、授業料55ドルは安かったな、なんていつもどおり超ポジティブシンキングな僕でありました。